ヤスダ彩

1999 写真家

個展「白粉花の香りがしたら教えて」準備編

個展「白粉花の香りがしたら教えて」を終え、暫く経った。本当に本当に疲れてしまい、個展後は「ヨネダ2000のライブ抽選へ応募」「4日分のカレーを錬成」くらいしかできていないのだが、そろそろ何かを記録しなければという気持ちになってきた。というわけでここではまず、前回の個展との比較を加えつつ、今回の個展準備について振り返りたい。

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この個展「白粉花の香りがしたら教えて」は2019年9月に開催した「青春が憎い」から3年半ぶりかつ、上京してから初めての個展だった。

 

大学卒業・上京を経ていろいろとお誘いをいただいたものの、諸事情でまだ完全フリーとして写真の仕事をしており、その都合上わたしは今回もすべて自力で企画運営する必要があった。

 

ちなみに前回も同様の状況だったのだが、あろうことか当時19歳・文化終わり環境で育った私はそもそも"個展"というものをこの目で見たことがなく、見様見真似どころか…様…真似、、、といった具合でインターネットのぼやっとした情報からなんとなく想像した自分なりの"個展"という概念を形にしただけであり、なぜそんなバイタリティがあったのか今となっては全く分からない。恐ろしすぎる。美大に通っているわけでもないため周りに「個展をやる」と伝えても「へえすごいね、ところで個展って、、、何?🎶」状態で、ほとんど頼れる人はいなかった。1人でコンセプトを練りロケ地を決めモデルを決め手伝いの友人を呼び先輩から「その服で海に入りたいんですが、借りても良いですか?」とあまりに無礼なお願いをし(なんと快諾してくれてその後地元から東京までわざわざ見に来てくれた。すみません。)、1日で撮影を行い、ソフトなんて持ってないし使い方も知らないからiPhoneのアプリだけでフライヤーを作り入稿し、ソフトなんて持ってないし使い方も知らないからwordでzineを作り入稿し、なんかの教養の授業中に会場の見取り図を紙へ書きつけてなんとなく配置を決め、それだけを基に印刷会社へ全ての写真を入稿し、恐る恐る届いた写真の一番上のものだけを見て「あ、印刷ガビガビじゃなかった、よかった🎶」と安堵し、それらを一度も開くことなく夜行バスで東京へ行き、ほぼ1人きりで搬入を終え、夜カプセルホテルでiPhoneのメモにキャプションを書き、当日それを手書きでルーズリーフへ書き写し、なのになぜか3日間で200人来た。なんでだよ。ありがとうございました。

 

そんな限界個展ですら3年半前のことだ。頼りにするほどの記憶も無く途方に暮れたわたしであったが、大変ありがたいことに偶然身近に現役で美術教育を受けている者の存在があった。詳細な経緯は割愛するが、今回は彼女にディレクション、、というかありとあらゆるお世話を担っていただく運びとなった。あまりのわたしの無知加減に恐らくずっと引かれていたと思う。具体的には紙の扱いが酷すぎて驚かれ、カッターが使えず(実家では子どものカッター使用が禁止されていたので習得するタイミングがなかった。父親しか使ってるとこ見たことない。逆にみんなあれっていつ使えるようになるの?)驚かれ、"試し刷り"という概念を持っておらず(待って、これも言い訳がしたい。大学が貧乏すぎて印刷は全部ポイント制かつ皆そのポイントを卒論印刷用に温存している=卒業まで大学のプリンタをほぼ使えない状況で、わたしは印刷の用事が発生するたび学校から8分くらいのコンビニまで走っていたんだけど、その習慣に染まりすぎてしまったのです。常に1回目の印刷が本番。ネットプリントなら、任せろ。)驚かれた。山から出てきた一般大学出身の圧倒的大胆具合と無知さをひけらかしまくった準備期間であったが、それなのに最後まで並走してきてくれた(逆にこいつを放っておいたらとんでもないことになる、、と思われていたかもしれない)ので、彼女には本当に感謝しています。これまでわたしが勘一本に頼ってきたところを堅牢な根拠に基づく知識で補完していただき、なんかずっと、うわあ"教育"ってすごいんだな、、ごめんなさいね、、ありがとう、、、という気持ちだった。あたしゃそもそもどれをどこまで勘でやっていたかということすら知る機会がなかったんだ。本当にありがとうね。

 

それからこの個展のために、というよりは上京してからの生活の変化によるものだが、やっと好き勝手に色々なギャラリーや卒展、ポップアップなどを回れるようになった影響も大きかった。これまでは地元から出られず見逃した展示の名前を呪いのように書き連ねたり、上京してからもなぜか凡ゆる催し物の告知を「どうせ東京でしかやらないから行けないだろう、、」と無駄に見落としまくったりしていたので、生活の中にそういった体験を組み込めるようになるまで相当な時間を要した。セレクト色の強いデカ本屋とかもまだめちゃくちゃはしゃいじゃうし。青山ブックセンターにゼミ同期と行った時なんて「大学図書館なんも無え、、、、」「卒論書く時ここへ来られたらよかったのに、、、、」と呟きながら棚の隅から隅を何時間もかけて眺め、レジまで全然辿り着かなかった。は〜あ、文化資本文化資本。話が逸れまくってすみません。※でもこんな育ち方をした人間が今ここでなんとかサバイブしている、という状況について、シティの者たちにはもっとそのイレギュラー具合を理解してもらわねばならん気もしている。

 

こうしてわたしたちは紆余曲折を経てなんとか搬入まで漕ぎ着くことができた。ちなみに搬入当日は計3名のメンバーにお越しいただいたのだが、わたしはインターネットをやりすぎているので、意図せずして各自バラバラのSNSアカウントで知り合った3名を突然一同に会させ、奇妙なオフ会シチュエーションを生み出してしまった。結局、終電を過ぎても作業を終えることができず朝まで作業を行い、わたしたちは出勤する人の波に逆らいながら帰宅することとなった。ちなみに自分はこんな体たらくだが、課題は計画的に済ませるタイプなのでこれまで徹夜をした経験など無く、長期で入る映像の現場でもなんだかんだ1日3時間は寝られるので、(まあ、わたくしが"徹夜"を、、、?)と謎お嬢様気分で作業を行なっていた。なお、朝めちゃくちゃなままの家に帰宅したお嬢様は「泥棒!?!!」と叫びながら別件の仕事を済ませ、午後からギャラリーに戻っていったのだった。長くなってきたので準備編はここまで。

 

誰が読んでいるのか分かりませんが、記録でした。もしまだ元気だったら今回のコンセプトについてゆっくり綴りたいと思う。

 

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おまけ:今回も当然の如く手書きで見取り図を書いたところ、「手書き!?プリンタ、あるよ、、!?」と心配された時の画像 (印刷するという発想が無いだけでプリンタというものの存在は、知っています。)