ヤホー!
2月ぶりに韓国に行った
※今回も長くて自由すぎるため、明日のゴミ出しの準備など全てのタスクが済んだ者もしくは何のタスクも完了してなさすぎて逆に暇を迎えた者だけに読んでほしい
◯1日目
心配性すぎて、手続き開始の2時間前に空港に着く もちろん搭乗口の手前でも時間が余りまくったので本を読んで待とうと思っていたところ、ベンチに付属している電気プラグにtypeCのコンセントを刺そうとしていたチュニジア出身の人をそれちゃうで〜と引き留めたら1時間くらい英会話することになり、己の英語力に落胆
無事に前もって予約していた仁川からソウルまでの高速鉄道にも乗れて、そこからホテルへ
同行者が買ってきてくれたチキンとキンパと餃子をたらふく食べ、涼しくなった街を少し徘徊し、コンビニのでっかいスイカジュースを飲んだ 前回訪れた時は冬だったので知る由もなかったが、コンビニではカップ入りの氷に注ぐパウチ型のドリンクが充実している スイカジュース大好き!就寝
◯2日目
毎回1箇所はド王道スポットに行こうという暗黙の了解があり(食いしん坊すぎて日本で言うところの観光客しか並んでいない牛カツ屋みたいなところへ並ぶことを"くやしい"と思ってしまうものの、やはり興味があるため)(結果食いしん坊)なかしましほさんも訪れていた안극のonionへ
ほぼ日本語しか聞こえなかったしめちゃくちゃ並んだが、種類豊富なパンはオリジナリティがあって美味しいし建物もうまく現代風にアレンジしてあって、人気の理由がわかる 観光客心をくすぐる経営が上手い
めちゃくちゃ並んだのでスケジュールが押してしまい(ド王道スポットを熱烈に回っている人はこのペースだと1日に数件しか回れないのでは?と勝手に他人の身を案じた 食いしん坊なので)、慌てて경북궁へ
ここでは前回も訪れたone more bagで土産物を買い、dekadで昼食を食べた パンを食べたばかりなので、マンゴー・マスカルポーネのパンケーキとガレットを2人で分けて軽めに済ませる
食後は通仁市場を通過してNaviverseとBOAN BOOKS、amonentoへ 秋月シーズンだからか市場には餅が山のように積まれていて見惚れる 街のあちこちには「良い秋月をお過ごしください」と書かれた横断幕がかかっていてそれも印象的だった
BOAN BOOKSは宿やカフェ、ギャラリーと一体になった施設に入っており、얀두というワンちゃんがそこを歩き回っている 寄ってきてくれたので挨拶したらフンス、といって下のカフェの店員さんらしき人の足元に戻っていった
ここからさらに가좌駅方面へバスで移動 ここでも時間がなく、走って店に向かうとその途中にある홍제川が夕陽で輝いていて、駆け抜けるのが勿体無かった 今度はここでゆっくりしたい……と思いながら慌てて1枚だけカメラに収め、先を急ぐ
sansでは無花果エイドと秋限定のショコラモンブランを注文した 無花果エイドは日本でなかなか出会ったことがないのだが、駆け回った身体に染みるおいしさだったので帰国したらシロップを買いたいよねと話した ちょうど夏のメニューが終わったばかりとのことだったが、夏メニューもとても可愛らしかったので公式のインスタを見てみてほしい dekad同様、エディブルフラワーが使用されたメニューが多いのは流行りなのかな わたしもごはんやさんだったらやりたい、かわいいね
結局そのあとも時間に追われ、ほぼ直行するような形で경북궁からずっと上がったところにある자하손만두へ 白玉のような餅が入ったカラフルな水餃子とコングクス(豆乳ベースの素麺)、それからなかしまさんの書籍にも載っていたオミジャ茶(チョウセンゴミシの実を使った甘酸っぱいお茶)を注文
ステンレスの食器を使うことが多い韓国だが、ここではツルッとした白磁によそわれて出てくるので、料理の印象もぐっと変わる 特につるつるの水餃子と白磁の相性は抜群だった 明るい時間は大きな窓から仁王山という山が見えるらしいが、この日はすっかり暗くなっていたのでまた早い時間にも訪れてみたい
ところでこのエリア、あまりに土地の高低差が激しくまるで『パラサイト』みたいだな、、と思いながら歩いていたらやはりそのロケ地だったらしく、パネルが立っていた
◯3日目
この日は今回の旅行のお目当てでもある国立中央博物館へ、陶器を見に行った 元々日本民藝館で朝鮮の民藝品が特集されている展示を見に行ったのがきっかけで、普段これらはどこで見られるんだ、、と調べたところ、この博物館へ行き当たった
博物館は吹き抜けのあるかなり大きな建物だが、入館料は無料 中世・近世館を一通り見たあと、工芸館へと向かった
↓ここからは展示内容に沿って覚え書き↓
※もしレポートなどを書くときに検索でこのブログに行き当たった人がいたら申し訳ないんだけど、韓国語の読解と世界史に自信がないのでマジで参考にしないでください、、、ゥチの勘違いであなたの成績を下げたら悲しいから、、、❣️
10世紀
・三国時代からの技術に中国からの技術が加わり、青磁・白磁の生産に成功
・当初は塼築窯と呼ばれる中国の窯を模倣したものを使い青磁・白磁両方を生産していたが、その後青磁中心の生産へと切り替わった
11世紀
・制度の整備が進み、韓国南西部において王室等で使用される青磁が生産された
12世紀
・翡色青磁と呼ばれる翡翠色の磁器が生まれ、さまざまな動植物を模った象嵌青磁も製作され、元の影響から離れた高麗らしい青磁の生産が盛んとなった
・特に1170年から始まった武臣政権(国王ではなく、日本で言うところの武士が政権を取っていた そういえば武班とか習ったね)時代には最盛期を迎え、器の表面に組んだ文様に白や黒の土をはめこんで装飾する象嵌青磁が発展した 水辺の柳の木や雲の間を飛び回る鶴、葉の上で休むカエルなどを模したデザインからは、高麗の自然観を伺うことができる
▼これは透かし彫り
・同時代には鉄絵や銅絵といった装飾も取り入れられた
13世紀
・1231年の遷都やモンゴルからの侵攻などで混乱期を迎えたが、遷都した先でも青磁が用いられたことが遺跡から明らかになっている
▼これは象嵌青磁のタイル 土産物屋にこのタイルを模したマウスパッドが売っていて可愛かった
▼なんか元気そうな人がいる
・後半には元との交流が盛んになったことで、優雅な発色や形状の青磁から打って変わって反復的な龍・鳳凰・魚(この並びで魚)文様や高足盃や片口鉢、扁瓶(前後が平らな形の壺のこと)といった新しい器の形状が取り入れられた
14世紀
・紅巾の乱によって元から明へ王朝が変わると、それに伴い高麗の政治も混乱 それによって国家で管理されていた窯は手放され、高麗青磁も衰退の一途を辿ることになった
・朝鮮時代になり、新たに粉青沙器が登場する
・この頃の白磁は軟質白磁と硬質白磁に区分され、前者は高麗の伝統を引き継ぎ象嵌などの技法も用いられた
15世紀
・貢ぎ物(税)としてのクオリティ向上のため品質管理が行われ、15世紀前半に粉青沙器が発達 その後世祖の時代である1450-1470年ごろに最盛期を迎えた
▼実際に納められた粉青沙器 管理のために官庁の名前が刻まれている
▼こちらはかなり気ままに見える、現代っぽい(本当に粉青沙器だったかやや不安)
・粉青沙器にも高麗の技術である象嵌が導入され、象嵌粉青沙器や印花粉青沙器が生産された 前者は王室儀礼のために不足していた金属の代わりとして用いられ、後者は宮廷の生活や外交使節の接待などに用いられた器を作って各地域の儀礼に使うようにした。
▼鉄画で模様が入れられた粉青沙器 祭器として儀礼に用いられた(かっこよすぎる)
・一方15世紀前半までの世宗の時代では、白磁が王室の儀礼・日常用の容器として採択されていた
▼世宗の時代に金属器を模倣し、祭器として作られたもの
・特に硬質白磁が明の影響を受けて発達 15世紀後半には官窯「司饔院分院」が設けられ、朝鮮を代表する陶磁器になった
・貢ぎ物として全国から納められた陶磁器の殆どは粉青沙器で、白磁は限られた地域でしか作られなかったが、結果的には官窯によって白磁の使用が定着した
・当時はコバルトが希少だったため、白い土に青い模様が入った青花白磁は当時の上流層が羨望する最高級の陶磁器だった 王室や国家行事に用いられた
16〜17世紀
・1592年の文禄・慶長の役(朝鮮では壬辰・丁酉の倭乱とよばれた)における秀吉軍の朝鮮侵攻や、その後の度重なる清との戦争によって朝鮮の社会や経済が衰えた そのため官窯でも質の低い灰白色白磁が王室用として生産され、儀礼用の器物には高価なコバルトの代わりに鉄画(鉄絵)顔料が使われた この潮流は18世紀前半まで続いた
・17世紀後半からは、官窯の工匠が生計を維持できるよう、私的な注文を受けて白磁を製作することが許容されはじめた
18世紀
・国内の経済活動が盛んになり、王室や文人階層、さらに庶民の富裕層も白磁を手に入れられるようになった
・白磁は朝鮮王室に向けた気品のあるものが主流であったが、多様化により朝鮮の陶磁文化をさらに開花させた
・燃料を確保するため約10年ごとに場所を移していた官窯が1752年に分院里に定着したため、以前より体系的かつ安定した運営が可能となった
・王室は清の華やかな陶磁器を贅沢品として規制したが、朝鮮において中国の陶磁器を愛でる風潮はさらに広がり、朝鮮青花白磁の形状や装飾にもその影響が見られるようになった
▼18世紀に作られた牡丹と唐草模様の透かし彫り 牡丹は早くからモチーフとして用いられ、特に朝鮮後期に人気を集めたそう
19世紀
・西洋化や経済成長、身分制の変動などの変化によって白磁にも新しさが求められ、官窯もその需要に応えるため豪華な文房具や高級な装飾が発達し、分院里様式と呼ばれた
▼ 水滴やフジツボのような筆立て 今年日本民藝館に展示されていたものも同時代に作られているはず
・19世紀後半になり王室の財政悪化や外国産の陶磁器の流入によって官窯の運営が悪化し、1883年に司饔院分院が民営化されたことで市場に生産品が販売されるようになった
▼桃の模様 朝鮮前期は梅・竹・葡萄のモチーフが親しまれたが、18世紀には蘭や菊が流行り、19世紀に入ると松・栗・牡丹・柿・ツツジ・桃・柘榴が登場した
▼なんとコウモリ柄 縁起がいいらしく、幸運や長寿などの願いが込められており、王室から市民まで親しまれていたそう ほし〜
▼カニ
▼合格祈願の模様らしい 蓮の花に魚とエビが集まってご飯食べてるのが豊かな暮らしを象徴しているんだって
▼𝓣𝓞𝓤𝓒𝓗
↓やっと博物館を脱出⭐︎↓
お土産屋さんも可愛いのでおすすめです わたしは青華白磁のぬいぐるみと、青磁のマグネットを買いました🎶
この後昼食を食べようと向かった先が全て秋月で休業していたため、ショッピングモールへ
日本で言うところのおぼんでごはんみたいな店に入り油断して適当に頼んだウロンテンジャンチゲが本気で一口も食べられず、普段はなんでも食べられるはずなのにと涙した 俺にタニシはまだ早かったので出直します
その後39etcという雑貨屋で買い物 お香とカラビナ+チャームを入手
店の前が可愛かった
カラビナはこの左のやつです
한당신駅へ移動 BEAKERやその他セレショを回った後、tacで夕飯をば、、と入店しようとしたところ今日はもう入れませんと言われ、再び涙 結局めちゃくちゃウェイティングしたものの나리의집に入店できて、笑顔
ゴンチャを飲んで、証明写真機の変な花のフレームで写真を撮り、ホテルに帰る
◯4日目
帰国、即・荷解きの天才
⭐︎以上です⭐︎
今回もありがとうございました